非正規崖っぷちりんごの一念発起日記

面白き こともなき世を 面白く 生きるためには 夢は必要

学問のすゝめ②

前回の学問のすゝめ①で外枠(フレーム)の話に少し触れました。

 

今回はその話をふまえて、学校教育に足りないもの

について考察します。

 

学校では外枠(フレーム)を提示してくれるので、

その外枠を考える力が育たないと考えています。

 

ここでいう学校とは主に

義務教育課程から高等学校までを

想像してください。

 

学校は義務教育という名の下でこの科目を

勉強しなさいという外枠を提示してくれます。

 

生徒たちは、なぜその外枠が必要なのかを

考えることはありません。

漠然と生活に必要だからと思う生徒もいるでしょうが、

本当にそれだけでしょうか。

 

社会に出てからもっと小学生のとき

算数の勉強をしていればよかった

と思われる方も多いのではないでしょうか。

 

子供のときこんなにも将来算数が

必要になるなんて、これっぽっちも

考えなかったのではないでしょうか。

 

なぜ考えなかったのでしょうか。

それは考える必要がなかったからです。

 

算数なんてテストで100点とれれば

それで通信簿にいい評価がつくから、

そうなるように勉強すればいい。

そんな教育を受けてきたのではないでしょうか。

 

これは教育を担う大人側に問題があります。

外枠を提示するけれども、

なぜその外枠が必要なのかを説明しない。

 

義務教育という名の外枠の

本当の必要性について

誰が教えてくれるのでしょうか。

 

そもそもこうなる原因は、

教員に問題があると思います。

 

おそらく大多数の教員が

人生に悩み、絶望した人たちではないから

ではないでしょうか。

 

人生経験豊富とでもいうのでしょうか。

たとえば、元ヤンキーで、めちゃくちゃ勉強して

弁護士になられた女性がおられますが、

ああいう怒涛の人生を送られているかたは、

自分の人生にとって何が必要なのか

ということを深く考え実行できたからこそ、

弁護士になれたのではないでしょうか。

 

なぜこれを勉強するのか?

自分はどうなりたいの?

こういった悩みに対応できるのは

強烈な人生を送ってきた人ではないでしょうか。

そんな教員が増えれば教育現場も変わるのではないでしょうか。

 

そういう意味では

ゆとり教育の発想は間違ってなかったと

思うのです。

勉強以外に必要な考える力を養うということは

非常に大切です。

 

ゆとり教育が失敗だったかどうかは

私には判断できかねますが、

これだけは言えます。

 

ゆとり教育をダメにしたのは、

そのとき教育を担っていた現場の人たちです。

 

おそらくゆとり教育が漠然とした内容で、

どのように進めるべきかわからなかった

ところに原因があるのではないでしょうか。

 

考える力

 

それは、散在する情報を自分なりにまとめ、

外枠を作り、内容を埋めていく力だと思います。

 

この考える力を養ってくれる、

そんな教育ができる人が

増えればいいですね。

 

そしてそれは学校の教師でなくてもいいのです。

 

自分の思ったこと、

考えたことを

ネット上で発信する。

 

それも立派な教育者です。

 

そんなことを思う

ゆとりでした。